2つ目は、1946年(昭和21年)に松下電器がGHQから制限令を相次いで受けた話をご存知でしょうか?
3月に制限会社の指定を受け、すべての会社資産が凍結されたのをはじめとして、
6月に財閥家族の指定、7月に賠償工場の指定、8月に軍需補償の打ち切り、
11月に公職追放の指定、12月に持株会社の指定、昭和23年2月に集中排除法の適用、
という7つの制限を受け、松下電器は解体の危機に直面したという話です。
ここから松下幸之助は4年間、50数回にわたってGHQに出頭し、
抗議を繰り返してほとんどの制限が解除されました。
その間に「繁栄によって平和と幸福を」実現するためにPHP研究所を創設したり、
赤字経営が3年間続き危機に立たされた昭和24年1月の経営方針発表会で松下幸之助は、
「われわれが産業人であるならば、これだけの人の働きの成果を黒字にもっていき、
国家の繁栄、社会の繁栄、従業員の生活向上になるような成果ある仕事をしなければならない。
そうでなければ、あってかいない存在であると考える。
あってかいない存在であるならば、松下電器は解散してもよいと思う」
とまで訴え、社員全員の奮起を促しました(「Panasonic」HPより抜粋)。
1929年の世界恐慌のときも、1946年のGHQからの制限令のときも、
松下幸之助の考え方に一貫性があることが証明されています。
だからこそ2つの危機を乗り越えられたのだと私は思います。
赤字のときはどの経営者も気持ちが沈みがちです。
しかし、そのようなときだからこそ社員を奮起させることが大事なのではないでしょうか。