世の中で、
「責任を取って政治家が辞める」「この責任どうやって取るんだ!」
という言葉が飛び交っていますが、
実際“責任を取る”とはなんだという違和感をずっと感じていました。
いろいろな人に聞いてみたものの、
明確な答えや納得のいく答えが返ってきたことはありません。
しかし自分なりに責任というものの考え方がわかったので聞いてください。
結果から言うと、責任を取るということはできないというのが、私の考えです。
問題を起こした後に責任を取ることはできません。
いいとこ辞めるくらい。お金を払うとか。
起こしてしまったことの取り返しはできないということです。
起きちゃったし、過去の事だから。
ということは、“責任を取る”とはどういうことなのでしょうか。
それは、問題が起きないように、本気になれるかということ。
責任を持って事に当たりなさい、責任を持ちなさいということは、
問題が起きないようにすることを本気で思う気持ちの重さ。
心の持ち方の重さなのです。
あなたがA君とB君に「この仕事お願い」と言うとします。
A君は「途中までしかできませんでした~!」という軽い感じですが、
B君は寝る間も惜しんで必死でこなしました。
これが責任。
責任を取るということは不可能です。
せめて、責任を持つという考え方をきちんと持ち、
事に当たるときの「気持ちの重さ」の違いだということを、
理解していればいいんです。
では、事に当たるときに重く受け止めてくれ、責任を持ってくれる人と、
軽く考えてしまう人は、何が違うのか。
それは相手をきちんと想っているかどうかです。
「この人のためにこれをやらなきゃ!」と思えば、
どんなにつらいことでも挑戦しなければなりません。
それができない人はがんばれません。
また、責任感があれば、おのずと一生懸命になれます。
一生懸命の基準は、利己か利他か。
自分のために一生懸命な人には責任はない。
世の中の理想とされる責任は、利他の心からくる、“責任感”。
その責任感から発生してくる一生懸命は、
素晴らしい一生懸命ですよね。
ということは、利他の心と責任感と一生懸命は、
連動していることになります。
つまり、責任感を持たせるためにはどうするかというと、
利他の心を強めるしかないんです。
では、利他の心を強めるにはどうしたらいいのか。
次回は、利他の心のトレーニングについてです。